横浜市中区にある神社のうち参拝した社を紹介している。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 元町厳島神社 | 中区元町5-208 | 2011/06/23 | |
02 | 諏訪神社 | 中区石川町4-164 | 2011/06/23 | |
03 | 厳島神社 | 中区羽衣町2-7-1 | 2011/12/25 | 市街整備の影響を受け一の鳥居が独居 |
04 | 本牧神社 | 中区本牧和田19 | 2012/04/09 | 本牧山頂公園と新本牧公園に挟まれた市街地に鎮座 |
05 | 子神社 | 中区日之出町2-132 | 2013/04/10 | 京急「日之出町」駅近くに鎮座 |
06 | 北方皇大神宮 | 中区西之谷町73 | 2014/06/29 | |
07 | 諏訪神社 | 中区諏訪町13 | 2014/06/29 |
【履歴】
・2011/06/23(木): 横浜市街地を探訪
・2011/12/25(日): 厳島神社を参拝
・2012/04/09(月): 本牧神社を参拝
・2013/04/10(水): 日之出町子神社を参拝
・2014/06/29(日): 北方皇大神宮、諏訪神社を参拝
JR根岸線「石川町」駅南口から川沿いに300mほど下った山側に鎮座している。
この神社は今から約700年以前より元横浜村州千島に鎮座していた清水弁天、州弁天を元禄年間に分祀し、元町一丁目の増徳院(真言宗)仮殿にご神体を奉安していた。 しかし明治維新の神佛混淆の禁止により増徳院から分離し厳島神社として元町1-15に社殿を造営、元町の鎮守様となりました。 祭神は、市杵島姫命、多紀理姫命、多岐都姫命、木花開耶毘売命でいずれも女神だ。お社は関東大震災により焼失したが御下賜材により仮殿を建設し、昭和初期には元町5-208の当地に転座し再建された。 第二次世界大戦でまたもや灰塵に帰したが、昭和36年に鉄筋コンクリートの社殿を建立し今日にいたっている。 元町厳島神社は、商売繁盛、合格祈願、縁結びの神様としても親しまれている。
皇大神宮 |
金毘羅神社 |
赤白龍神 |
境内には末社としての金毘羅神社と当地の明主であった石川家から寄進された皇大神宮も併祀している。
市営地下鉄ブルーライン「伊勢崎長者町」駅で降り、800mほど高速道路向いまで歩き"石川町5丁目"交差点左手の山側に鎮座している。
文明13年(1481)の創建と伝えられている。
当初は諏訪山と呼ばれる高所に小祠があり、灯明を欠かさず、灯台としての役割を果たしていた。
諏訪大明神・建御名方命が祀られている社である。
一般に軍神・勝運の神として名高い建御名方命だが、此処の諏訪神社は、何度も焼失したが町内には一度も火災が起きていないことから火防の神として崇敬を集めているとのこと。
地下鉄ブルーライン「関内」駅2番出入口から出て16号線をJR関内駅の下を潜り羽衣町2丁目の信号まで歩くとそこに厳島神社の鳥居がある。 この鳥居の手前の脇道に入り約100mの所に鎮座してる(約5分)。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
社殿 |
創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進したと伝えられている。元来はその所在地に因み洲干弁天社と称していた。
足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光より朱印地を与えている。
境内には瓢箪池があり、清水が湧き出ていたので「清水弁天」とも、また所在地から「横浜弁天」とも呼ばれていた。
秀閑寺という別当寺を有したが廃絶、慶安年間以降は元町1丁目の増徳院が別当になった。
元禄年中この元町の増徳院境内に仮殿を造営し、上之宮杉山弁天と唱え、平日はご神体をここに奉安して置き、本社には前立のご神体のみを置いて下之宮清水弁天と呼んだ。
1869年に街区拡張のため、現在地の羽衣町に移転して厳島神社と改称した。
祭神は市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)、多紀理姫尊(たきりひめのみこと)、多岐都姫尊(たぎつひめのみこと)の宗像三女神。
摂社-銭洗辨天社 |
摂社-銭洗辨天社 |
摂社-豊受稲荷大明神 |
JR根岸線「桜木町」駅下車、みなとみらい方面出口に出て桜木町駅前バスターミナルA番乗場8/148系統のバスに乗り約20分「三の谷」バス停にて下車。進行方向信号「本牧和田」横断歩道を右に渡った所にある新本牧公園の奥に鎮座している。
鳥居(靖国鳥居型) |
拝殿 |
神額 |
本牧神社は旧称・本牧十二天社といい、旧来、本牧岬の先端(本牧十二天1番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様だった。
その様子は江戸名所図絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全、地元民からは守護神と崇められ、本牧十二天の地に800年以上も鎮座してあつい信仰を受けていたと云う。
伝記には、建久二年(1192)、源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり、鬼門守護を祈念して平安時代から存せる神殿に朱塗厨子を奉納した、とあるそうだ。
また、鎌倉将軍維康親王より社領の寄進、中頃、両管領よりも同様に社領寄進。天正年間には徳川家康公の関東御入国に際し、高十二石免御朱印の下置、以来、徳川十五代将軍より御代々頂戴−とあり、方除け、厄除けにご神徳が顕然として、武家や庶民から篤い信仰を受けてきた。
明治元年(1868)の神仏分離令にて本体の大日霊女命を祀り「本牧神社」と改称された。
第二次世界大戦後進駐軍の強制接収にあい本牧町2-367に借地・仮遷座していたが、平成五年現在地に遷座し復興御造営竣工した。
主祭神は大日靈女貴命(天照坐皇大御神)。
末社-本牧水天宮,本牧天神社 |
末社-熊野速玉社 |
末社-宇氣の稲荷社 |
社号標石「本牧神社」 |
手水舎 |
お百度石 |
京急「日之出町」駅から約2分程にある県道218号線「日之出町一丁目」交差点先の路地裏に鎮座している。
鳥居(明神鳥居型) |
拝殿 |
神額「子神社」 (明治神宮宮司鷹司信輔書) |
神社明細帳によれば、推古天皇の御代(600年頃)に創建されたと伝えられる。そして、承安年中からは、赤門の東福寺が別当寺を務めたという。
しかし、長禄元年(1558)には、東福寺は現在地に移転してしまい、以来、海賊による簒奪や天正三年(1575)の兵火、文政八年(1825)の火災などによって、当社の古事や伝記は、焼失してしまったとされる。
祭神は大国主命。
手水舎 |
猿田彦大神像 |
JR根岸線「山下町」駅で降り、北上し本牧通りに出る。本牧通りでは右手の本牧方向へ向かう。暫く進み「上野町二丁目」交差点で右折して横道に入ると道の突当りに鎮座している。
神社正面 |
拝殿 |
社伝によれば、天永年間(1110〜1112)の創立と伝わっている。
又、新編武蔵風土記稿(1828)には、「北方村字泉谷に太神宮あり」(現在の横浜市中区山手町のワシン坂上付近と推察される)の記述がある。
慶応年中の横浜開港に伴い元の地は外国人居留地になり、現在地に遷座された。
大正八年九月九日に推定村社となった。昭和二十一年・二十五年に社殿・神楽殿を再建。また平成六年には現在の社殿を造営している。
天照皇大御神を祀る。
手水舎 |
境内社: 福徳稲荷神社 |
みなとみらい線「元町・中華街」駅で降り、6番出口より徒歩7分ほど。"ブリキのおもちゃ博物館"の先にある。
神社入口(裏手から入る) |
社殿正面 |
神額「諏訪神社」 |
文治三年九月(1187)創建といわれている。
明治六年境内地が外国人居留地に変更された等により、幾度か所在が移り変り、大正元年十月に現在地に至った。
大正十二年九月の関東大震災で社殿は焼失したが、その後再建され現在に至っている。