横浜市西区にある神社を参拝した。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 伊勢山皇大神宮 | 横浜市西区宮崎町64 | 2011/06/23 | |
02 | 浅間神社 | 横浜市西区浅間町1-19-10 | 2011/12/10 | |
03 | 戸部杉山神社 | 横浜市西区中央1-13-1 | 2012/12/15 | |
04 | 水天宮平沼神社 | 横浜市西区平沼2-8-20 | 2012/12/15 |
・2011/06/23(木): 横浜市街地を探訪
・2011/12/10(土): 浅間神社を参拝
・2012/12/15(水): 戸部杉山神社、戸部水天宮を参拝
JR根岸線、市営地下鉄「桜木町」駅から野毛山方向に徒歩10分のところにある。
境内入口 |
鳥居(内宮源鳥居形) |
拝殿 |
明治維新後、当地横浜が国の貿易の要として開港されると、外国との国柄の違いを胸に刻み、国家の鎮護を祈る事を目的として、明治3年4月14日、神奈川県副知事の井関盛良氏が太政官に建白書を送り「伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして、崇敬胆仰せしめん」との布告を頂き、翌年4月15日社殿並びに境内施設が竣工し、正遷宮が執り行われた。その際、地名も野毛山から伊勢山に変わった。
伊勢山皇大神宮は天照皇大神を祭神とする横浜の総鎮守で”関東のお伊勢さん”として知られている。
杵築宮/子之大神 |
大神神社磐座 |
明治十年西征陣亡軍人之碑 |
太鼓楼(昭和四年奉納) |
JR東海道線「横浜」駅から徒歩13分の13号線と83号線が交差する「浅間下」交差点の南西約150mに鎮座している。
一の鳥居 |
拝殿(浅間造) |
神額 |
承暦4年(1080年)、源頼朝が浅間神社を勧請して造営されたと伝えられている。
社殿は関東大震災や太平洋戦争で焼失したが昭和34年再興され、昭和58年に境内整備のおり塗装直しされたものだ。
祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、相殿に天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) 、武甕槌命(たけみかずちのみこと)を祀っている。
二の鳥居 |
三の鳥居 |
小嶽社 |
稲荷社 |
招魂社 |
小嶽社は大きな羽根を付け、修験者の様な姿をした一対の烏天狗が護っている。稲荷社の狐は大正14年建立のもの。 また、拝殿左手前に獅子山のものと思われる狛犬が一匹置かれていた。
拝殿左手前の獅子山狛犬 |
小嶽社の眷属(左手) |
小嶽社の眷属(右手) |
参道上右手にある境内道標 「中道入口」 |
京浜急行電鉄本線「戸部」駅より徒歩約6分。
鳥居 |
拝殿 |
神額 |
白雉三年(652)に、出雲大社より大己貴命の御分霊を勧請したことに始まると伝えられる。
その後、江戸時代には、「杉山明神社」として、願成寺を別当寺とし、薬師如来を本地仏(神の正体とされる仏の姿)としていたという。
現在の社殿は大正十二年の震災で焼失し仮宮であったが、昭和三十一年八月鉄筋コンクリート造にて再建されたもの。
祭神は大己貴命。
神楽殿 |
大黒像(黒沢年雄(俳優)奉納) |
鼠像(左-雌) |
鼠像(右-牡) |
大己貴命を助けたとされる鼠(ネズミ)の像があり、台座が回転式で、これを回してから参拝するとよしとされる。
相鉄線「平沼橋」駅より徒歩約1分。JR東海道線「横浜駅(東口)」より徒歩約12分。
水天宮平沼神社は、横浜市の表玄関、横浜駅東口一帯の高島町(現在は一部みなとみらい)、平沼町、西平沼町、緑町(現在は一部みなとみらい)の氏神様として、天保10年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神としてお祀りし創建された。
社伝に依れば当時、平沼新田は塩田で有り、塩田作業中の村人が、入江に流れついた祠を見つけ、沖に返そうとすれども祠は何度となく岸に戻ってくるので、九兵衛翁にその事を伝えると、九兵衛翁は、守護神が無いこの地に祀れとの神様の御啓示であろうと感謝し、岸に上げて平沼新田の守護神としてお祀りした。
祠の内には、九州久留米の水天宮様の御神札が祀られていたので、「水天宮」と称し、安産・水の神様として氏子を始め広く横浜村の人々に、横浜の水天宮様として崇敬された。
その後、明治初期に神社の社格制度が制定され、平沼の鎮守として指定村社に列せられると共に、名称も「水天宮」から、「平沼神社」と改称されたが、一世紀以上経った今日まで水天宮様の名称で親しまれ、氏子や崇敬者からは水天宮平沼神社と称されている。
竈三柱神社 |
天満宮 |
稲荷神社 |
手水舎 |
神楽殿 |
願就牛石 |