事事関心! 名所・旧跡探訪:
[ 神奈川県鎌倉市/北鎌倉 ]
名所・旧跡探訪: 神奈川県鎌倉市/北鎌倉     2012/10/16(火)新規

 北鎌倉を初めて訪れた。北鎌倉は狭い谷間に細長く広がった街で、JRの駅以外には古刹しか無いように感じた。駅前でも昼食を選べるほどの飲食店が無いなんて...。
 その上、悪い癖で碌に地図を見ないで出来るだけ平地を散策したので摘み食い的になってしまった。
■JR大船駅(AM9:30)→
 → 成福寺  → 厳島神社 → 小八神社 → 八雲神社 → 円覚寺  → 淨智寺 →
 → 第六天社 → 建長寺  →
 → JR鎌倉駅(PM02:30)

履歴:
・2012/10/15 散策

成福寺 鎌倉市小袋谷2-13-33

 JR大船駅で降り東口出て県道301号線を北鎌倉へと向かう。 「小袋谷一丁目」交叉点の先で右手に交わる「鎌倉街道中道」へ折れる。 さらに暫く進むとJR横須賀線の踏切に出会う、この踏切の手前左手のお寺が成福寺だ。


山門

本堂

 成福寺の開基は、鎌倉幕府三代執権北条泰時の子泰次で、幼少より仏教を学び得度して沙門院泰次入道と号し、天台宗の僧として裏山の「亀の窟(かめのいわや)」で修行していたが、浄土真宗の教えを説いていた親鸞の弟子となり「成仏」の名を受けて貞永元年(1232)浄土真宗に改宗した。 その年の九月に新しい本堂を建て、親鸞から贈られた「聖徳太子木像」を安置したと伝えられている。

寺名: 亀甲山 方得院 成福寺
宗派: 浄土真宗本願寺派
本尊: 阿弥陀如来

厳島神社 鎌倉市小袋谷2-13-21

 成福寺前の線路沿いの道を北鎌倉方向に少し歩くとある左手の脇道に入る。 突き当りに神社の鳥居と参道の階段が見える。




 古くから「弁天さま」と呼ばれる村の鎮守だった。明治二十二年横須賀線の開通に伴い、小袋谷公会堂の所に遷座し、近くにあった吾妻社と並べて奉齋された。 また、成福寺境内の裏山には古くから成福寺の鎮守神として祀られていた八幡社があり、後に村持となった。
 関東大震災によってこれら三社は倒壊、八幡社の所へ弁天さまを再建し、吾妻社、八幡社を合祀し、今日に至っている。 祭神は過っての三社の祭神だった市杵島姫命、橘姫命、応神天皇の三柱である。

小八神社 鎌倉市台2044

 厳島神社を参拝した後は再び線路沿いの道に戻り、北鎌倉方向へ150m程歩くと横須賀線の踏切がある。 この踏切で線路を越え県道21号線へ出る。 300m程北鎌倉方向へ歩くと左手に再び踏切に繋がる脇道があるので、その道に折れ線路を渡る。線路沿いに走っている道を大船方向に200m程戻ると右手に小八神社の参道がある。 この参道は個人宅の入口のように見え分かりにくいが、突き当りに石段がかいま見える。 神社はこの小路の突き当りの山麓に鎮座している。



 享保二十年(1735)この地の領主別所氏が石清水八幡宮を勧請し、村人の守護神としたと伝えられている。 この神社の石段下には観音堂があり、聖観音と地蔵像が安置されていたと云う。 八幡神社は台の鎮守で、地元では「小八幡さま」と呼ばれているそうだ。 


八雲神社 鎌倉市山ノ内585

 先ほど線路を越えた踏切の所まで戻り、左手に折れ少し行った(10m程)所にある右手に折れる道に入る。 この道を道なりに進むと、右手に線路沿いの道に続くトンネルがあったりと鎌倉は面白い。 道の景色を楽しみながら歩き、登りきったところに八雲神社が鎮座している。


鳥居

社殿

「晴明石」

 鎌倉時代創建の山ノ内の鎮守で、「相模風土記」によれば、元仁元年(1224)疫病が流行し、村人が京都の祇園社(八坂神社)の神霊を勧請し、村の安寧を祈ったのが起源という。 古くは「午頭天王社」と称した。室町時代、山内を拠点とした関東管領の上杉憲房も篤く信仰したと云う。 憲房が武運長久を祈願して、祇園社から勧請したという説もある。
 平安時代の陰陽師・安倍晴明が残したと伝わる「晴明石」があり、除災の石として知られているそうだ。

淨智寺 鎌倉市山ノ内1402

 北鎌倉駅前を通る県道21号線を鎌倉方向に歩く。道のあちこちに洒落た洋食店を含む食事処が点在している。駅前で食事してしまい残念!
 暫く歩くと道路右手に東慶寺があるが素通りして淨智寺を目指す。


淨智寺山門

 淨智寺は臨済宗円覚寺派に属する禅宗の寺で、鎌倉五山第4位で山号を金峰山と称している。 本尊はそれぞれ過去・現在・未来を象徴する阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏だ。 境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されている。
 詳細は、「仏閣探訪: 神奈川県鎌倉市/浄智寺」 参照。


第六天社 鎌倉市山ノ内上町

 さらに県道21号線を鎌倉方向に歩く。 JR横須賀線を跨ぐ踏切を越え、建長寺が見えるところまで進むと道路右手に第六天社がある。


参道の石段

「徳高哉」碑

「安部清明大神」碑

 第六天社は江戸時代まで建長寺の四方鎮守で、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)とともに南の方位を守っていた。 明治維新の神仏分離後に山ノ内上町の鎮守となった。
 石段の登り口の扉は通常閉まっており、元旦と毎年7月15日から22日にかけて行われる例祭の日に開放されるそうだ。 これはきっと、平成十八年(2006)5月21日社殿に安置されていた第六天像と自国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像が盗難にあった災難のためだろう。

その他

 健脚で時間があれば建長寺の半僧坊は約10分登れば行けるし、さらに足を延ばして今泉の白山神社・今泉不動の散策、鎌倉湖ハイキングを楽しんでは如何だろうか。


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